みかみかみかみ

おたくの雑記用ブログ

遊戯王VRAINSを見てほしい理由が3つある

 

はじめに

遊戯王VRAINSとは…

 NAS製作の遊戯王アニメシリーズ6作品目。全120話。

 主人公・藤木遊作が幼少期に遭った「ロスト事件」の真相を求め、その手掛かりとなり得るデュエリスト集団・ハノイの騎士たちとバーチャル空間「LINK VRAINS」にて闘う中、意思をもつ人工知能(「イグニス」の一人。後にAiと命名)と遭遇し物語が始まる。

 

 放送が終わって時間も経つ作品だが、できれば色んな人に見てほしい…というオススメのていをとりたいので核心的なネタバレはしない。

 また、文中アバター名と本名の表記が混在しており、多少読みづらいかもしれないが、何卒ご容赦いただきたく思う。

 

 

VRAINSの魅力①ストーリーの一貫性

堅実な2本柱

 遊戯王VRAINS(以下VRAINS)の本筋は至ってシンプルである。全120話中、当初掲げられた物語の根幹でもある「ロスト事件」とその真相、そしてイグニスの存在に起因する「AIと人間の共生/対立」の問題提起。終始この2つのテーマに沿ってエピソードが展開される。

 遊戯王シリーズと言えば、途中で異世界に飛ばされたり、モンスターの精霊が出現したり、キャラクターの前世の回想が入ったり、異世界人・非人間であることが判明したり、シリーズの途中で世界観がガラリと変わることも珍しくない。それがダメ・良くないという意味ではもちろんないが、遊戯王ないし長期アニメの特殊性、要は癖(クセ)であることには違いない。

 

 VRAINSは前述の2つのテーマに腰を据えており、いわゆる超展開と呼ばれるような突飛な舵切りや路線変更はほぼない。それを「展開の波がない」「地味である」と言い換えることはできてしまうかもしれないが、私はそれを「見やすさ」と捉えている。120話もかけて向き合ったテーマは当然簡単ではなかったが、集中してキャラクターや作品に入り込むことができた。

 

 歴代シリーズファン向けの余談

 確立されたテーマにフックしなかった場合、その後興味を持つきっかけが掴みにくいということもあるかもしれない。しかし、過去シリーズのDM乃亜編で描かれた「人工知能・デジタルの生命」、ZEXALⅡで描かれた「異種族の対立」、これらの要素と通ずる物語でもあり、過去シリーズと併せて視聴しても新たな発見があるように思う。

 シリーズ構成の吉田氏を始め歴代シリーズの脚本・構成を多く手掛けた脚本家陣が再集結しているのもVRAINSの特徴である。

 

 

VRAINSの魅力②女性キャラの描写

  結論から書くと、これが自分にとってVRAINS最大の訴求力となった。

 

ヒロインが「他人」、財前葵

  「財前葵」の造形だけで1つ記事を書いてもいいと思うほど彼女の魅力は枚挙にいとまがない。

 まず好ましいと思った点は、物語における葵の立ち位置(相関図の座標)が主人公サイドと無関係なところから始まっていることだ。従来、いわゆる少年向けとされる漫画やホビー作品の「ヒロイン」とされる女性キャラは、男性主人公とその周辺の従属物(言わばオマケ)のような役割をもって登場しがちだった。(「主人公にとっての幼馴染」「主人公にとっての憧れの相手」等々…)

 もしくは、いつの間にか主人公パーティの一員としてまとめられ、個人の思惑が描かれなくなってしまう…ということもある。

 

 葵は登場以降、遊作(Playmaker)と接点は持ちつつも、葵は自身の目的のためにLINK VRAINSにログインし、闘い、行動を選択する。目的が重なれば行動を共にすることもあるが、別行動している時間がかなり長い。もう一人の主人公…と言ってしまうとさすがに過言なのだが、従来のいわゆる「ヒロイン」の役割とは一線を画していると言えるだろう。

 

別所エマとのシスターフッド

 作中、別所エマ(ゴーストガール)が闘う目的を尋ねられ「女の友情」と答えるシーンがある。ここでの「女の友情」とは葵、イグニスの一人であるアクア、そして葵の幼少期の友人・美優を含んでいる。

 

 葵は兄(財前晃)に認めてもらいたいという目的の完遂には今一歩至らないまま1期(ハノイの騎士編)を終え、2期(イグニス編)を迎えることとなる。

 葵はかつてのブルーエンジェルからブルーガールに姿を変え、晃から依頼を受けたトレジャーハンター・ゴーストガールに同行する。二人は以前も関わりがあり、1期ではまだまだ幼い葵を大人のエマが諭すようなエピソードだった。2期で行動を共にし始めた当初もエマは葵を足手まとい扱いしている。しかし、葵はエマの元で徐々に成長していく。エマも葵の正義感や意思に感化され、道中出会ったアクアも含め、女性たちの友情が描かれていった。

 

 彼女たちは主人公サイドとは別に独自のコミュニティを築き、彼女たち自身の目的で動き、闘う。「女だてらに」といった振りかぶりも気負いもなく、軽やかに女性たちの自立性が描かれている。

 こう書くと簡単なようだが、決してそうではない。

 女性同士の対立・二分化はしばしばミソジニーの表象であり、女性同士の友情・連帯の描写はそのカウンターとも言える。しかし、(制作陣の価値観や意識を一旦置いておいても)男性主人公作品、いわゆる少年向けとされるホビーアニメで、女性キャラだけの関係性描写に尺を割かれるのは珍しいことのように思う。

 一人の男性を巡って睨み合ったり、マスコットガールの座を取り合って小競り合いしたり、男性中心的に女性キャラが描かれる時代はきっと終わったのである。もちろん一進一退はあるだろうが、一歩進んだ表象を目撃できることをVRAINSの大きな魅力の一つとして挙げておきたい。

 

 

VRAINSの魅力③少年少女の成長譚

 先の節で「ロスト事件」「AIとの共生/対立」の2つのテーマの物語であると述べたが、それらと平行して描かれるのが遊作や葵、メインキャラたちの「成長」である。

 VRAINSのキャラクターの年齢層は歴代作品の中では年齢も高いほうで、主人公の遊作は性格も落ち着いていれば登場初期からデュエルの腕があり、PlaymakerとしてLINK VRAINSでの注目度も高く、英雄視されている描写も少なくない。葵も初登場時からブルーエンジェルとして「カリスマデュエリスト」の一人に数えられており、例えば当初ルールもおぼつかなかった遊馬や、作中でキャラクター性が大きく変わった十代の成長と比較して、どちらかと言えば「英雄譚」のように思われるかもしれない。

 しかし、私が思うVRAINSの物語は間違いなく「成長譚」だ。

 

 VRAINSの物語を通したキーワードとして「繋がり」がある。これはVRAINSで登場したOCGの特殊召喚方法「リンク召喚」にかけたフレーズでもあるのだが、遊作たちは物語の中で「繋がり」を実感していく。それはイグニスや関わる人間との繋がり、過去との繋がり、そして社会との繋がりなど、様々だ。

 そこには他者からの英雄視やデュエルの実力(言わば外的な要素)とは関係がないとも言え、自分自身が「何か(誰か)と繋がっていくため」の内面的な成長が描かれる。

 LINK VRAINSというバーチャル世界―いわば虚構の中で、彼らは他者と出会い対話し、絆を得て、また自分自身やおのれの過去と向き合い、前を向き生きていく。デジタルの世界では人間とAIの堺もないかもしれない。

 LINK VRAINSの世界のアバターは自己と対話するための鏡のようであり、なりたい自分の偶像のようであり、他者と繋がるためのツールのようでもある。

 

 逆を言えば、VRAINSの物語が否定するのは「繋がりを拒むこと」である。孤独に闘っていた遊作も、自分のことだけ考えていた葵も、過去から目を逸らしていた尊も、物語の中で変わっていった。終盤のリボルバーの成り行きもその価値観によるものであると思う。

 

 

 まとめと余談

  ネタバレを避けての感想だったので多少フワッとしてしまった部分はあるのだが、未視聴の方には興味を持っていただけたら喜ばしく思う。視聴済の方には少しでも共感いただけるポイントがあれば嬉しい。

 

 VRAINSは放送時間の変更やルール改定によるOCGの複雑化、ついでに私生活の変化など様々な理由が重なり全編のほとんどをリアルタイム視聴できなかった数少ない遊戯王シリーズになってしまったが、それに関しては今もなお後悔している。

  しかし、「リアルタイムで追っていた人ほど苦悩している」という話がまことしやかに囁かれているのもVRAINSである。それは吉田氏の構成シリーズは情報の開示が後半に偏りがちで、序盤~中盤の足踏みが長いことに起因しているのではないかと思っているのだが、いかんせんリアルタイム視聴ではないため勝手な想像に過ぎない。いずれにせよリアルタイム視聴は帰ってこないのである(切々たる後悔)。

 理由はどうあれ「打ち切り」の話もよく耳にするが、「もう少し長く見たかった」というファン感情はあれど、物語自体に尻切れトンボなところは一切感じられず、よくまとまっていると思う。

 

 リンク召喚の性質上デュエルが単調なわりに難解(エースを出すまでのソリティアが長め)…というなんとも難儀な状態に陥りがちなのはどうしても否めないのだが、途中からサーキット出現バンクを省略したりと演出の試行錯誤も見て取れる。また、デュエル構成の彦久保氏が脚本を手掛けた詰めデュエル回のような、リンク召喚の複雑さを逆手にとったようなエピソードも面白い。

 

 遊戯王VRAINSは総じて真面目で、堅実な作品だ。もちろん取りこぼしがないとか完璧だということではないのだが、それらを語らう余地も含めて十二分に魅力的なシリーズだった。

120話と短いので(?)機会があれば是非!