みかみかみかみ

おたくの雑記用ブログ

憧れのその先へ~HEROコンビオタクの解釈変遷備忘録~

 久しぶりの更新になります。二次元ジャンル用のTwitterのアカウントが凍結されてめっちゃウケる(ウケない)近況はある程度区切りがついたらまとめるとして、この際普段はツイートで済ませてしまいそうな話を記事にしてみようと思い立ちました。

 Twitterないからどれくらいの人が読んでくれるか分からないけど…ボトルメールを出すような気分ですね。

 今回も考察とか分析ではなく個人の感覚や体験に基づいたエッセイです。「長いツイート」の感覚なので、文体もツイートっぽく喋り口調してみました。Twitterロスじゃん…

 

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憧れのその先へ~HEROコンビオタクの解釈変遷備忘録~

 今回小見出しとかいいや(雑)

 

 「十代とエドはヒーローじゃない」「ヒーローに憧れるからヒーローコンビなんだ」――これが長い間私の持論でした。憧れている状態=ヒーローには成り得ていない、時には「ヒーローに向いてない二人だと思う」みたいなことも言ったと思います。

 それが最近「十代もエドもスーパーヒーローだな」という解釈に変わりつつあるなと感じます。雷が落ちたように変わった瞬間があったわけではないのですが、言語化できるレベルに意識するようになったのは本当に最近のことです(それこそ今年とか)。

 

 2期の十代とエドの闘いは「ヒーローを愛する者同士」のエピソードであり、「誰の心の中にもヒーローはいる。自分にとって最強のヒーローがね」という最高の決め台詞で一旦の幕を下ろします。この場合の「ヒーロー」は彼らが愛するE・HEROD-HEROなどの「(自分ではない)理想のヒーローの存在」と考えるのが素直な解釈ではないかなと思います。それに関しては今も変わっていません。なので、以前の解釈を否定する気はもちろんありません。そういう側面もあの二人にはきっとあるし、それはすごく素敵な共通点だと今でも思っています。

 

 ところが3期以降、本編の中で十代は「ヒーロー」の重圧と向き合うことになります。3期の感想は当ブログにも一つ記事があるので詳しくはこちらを読んでいただければと思うのですが、このように何年経っても長々考え込むほど(特に初見時の)「十代かわいそう」「ヒーローって大変だな」という感覚が根強く心に残ったのだと思います。3期は十代だけでなくエドも、いわゆる英雄的結末には到達できないまま物語を離れます。それもまた二人の共通点だと思えていました。

 つまり、おそらく無自覚レベルで「ヒーロー」という役を担うことの重責から十代とエドを逃がしたい…そんな気持ちが先の「十代とエドはヒーローじゃない」「ヒーローに憧れるからヒーローコンビなんだ」という解釈に繋がっていたのではないか、そう思い至りました。

 繰り返すようですがもちろんその解釈を否定することはしていないです。傷付いた彼らを自身をケアするものとして、二人のヒーローに焦がれる想いの共有があるという解釈は自分でもとても気に入っています。

 

 前置きが長くなってしまいました。

 

 じゃあなぜ2021年になって突然「十代もエドもスーパーヒーローだな」などと感じ始めたかと言うと、「アメコミヒーロー映画をしこたま見たから」だと思ってます。

 

 文字にすると「え?」って拍子抜けな感じもしますし、特定の作品を見て長年大事に温め続けたキャラクター解釈が変化するほどのショックを受けた記憶も正直全然ないんですが、おそらくそうだろうと自分では納得しています。

 

 結論から言うと、自分が「ヒーロー」という存在に潔癖になりすぎていたんだと思います。(こう書くと初期のエドみたいですがちょっと違います笑)

 その原因をGXや国産作品のせいにするつもりはないんですが、アメコミヒーロー映画のヒーローってものすごい道を間違えるし、踏み外すし、人によっては時々褒められないようなこともするんですが、それでいて民衆・他者からの期待に応えることへの気負いがないことが多いんですよね(レーベルやタイトル・キャラによって幅はありますが、スパイダーマンシリーズ辺りをイメージしていただけると丁度良いイメージかもしれません)。

 「ヒーロー」が「ヒーロー」であることが凄くナチュラル。「正義」や「英雄」の定義に混ぜっ返しがない。中には混ぜっ返しを試みている作品もありますが、正直なところ独自の定義には至っていないように見えます。それって逆説的に「正義」や「英雄」の普遍性の証明なんじゃないかと、色んな作品を繰り返し見ているうちに思えてきたんです。

(話をややこしくするようでなんですが、混ぜっ返そうとしている作品も大好きです。それらがないと見えないものがあるからです。)

 

 いつしか十代とエドにヒーローを見出すことへの恐れがなくなりました。

 ずっと彼らが憧れるものの名で呼びたかった、そんな気さえします。

 

 何十回、何百回目のGXを見るとき、今まで避けてきた彼らを英雄視する解釈に飛び込むと、まるで初見のような真新しい感覚になります。

 時に迷い挫折を味わっても、自分を律し、人の期待に応え、なりたい自分になっていく彼らはまごうことなきスーパーヒーローでした。プロデュエリストとしてファンの期待に応えるエドも、人知れず地球の裏側で巨悪と闘う十代も。

 

 彼らが見せたいと思うであろう姿で彼らを見れることがなんだか嬉しい。そう思って今回の備忘録をしたためた次第です。ここまで読んでくださってありがとうございました。